またTwitterか。そんな風に言われるようになってひさしいですが、またTwitterです。アパレル系のネット通販では抜群の知名度をほこる「ZOZOTOWN」ですが、ZOZOTOWNで商品を購入したユーザーのつぶやきにZOZOTOWNの社長が反論し、それが物議を醸しているのだそう。問題のツイート内容は以下の通り。
社長の言ってることはまあよくわかる。むしろ「1,050円の商品を送料負担してたら、そら利益でんやろ…。」とさえ思ったんですが、1050円の商品に700円の送料云々は一切問題ではなく、会社の代表が、曲りなりにも顧客に対して暴言を吐くということが火種を大きくしている一番の要素です。
ここで一つの疑問が頭をもたげます。Twitterでつぶやくことは会社として社会的な活動を行っているのか?ということです。この件以外にも非常に多くの著名人が炎上、その後アカウント停止という憂き目に合っているので、Twitterでつぶやくことについて今一度考える必要があると思います。
Twitterでの発言が公共かプライベートかのライン
今回の社長の発言を、一熱心なZOZOユーザーが発したものだとしたら、まったく問題にもならなかったはずで、せいぜい詐欺だとつぶやいた人と、その人で小競り合いが始まるくらいでしょう。つまり今回の社長の発言は社会的な活動によるものであると周囲は理解しているということです。当たり前ですね。会社の代表なんですもの。如何に休日であろうと、酒をかっくらって大きな気になっていようと、衆目の目に触れる場所で発言をしたらそれは間違いなく公の発言であるといえます。会社の代表という立場ならわかりやすいですが、じゃあ一従業員がこの発言をしたらどうなる?まず間違いなく炎上するでしょうね。実際にアディダス店員の「ハーフナー・マイク中傷事件」も一スタッフのツイートが大きく波及し、会社として謝罪を求められました。ツイート内容が個人に向けた中傷という悪質なものであることは今回の件と違うことですが、個人をどうこうして済む問題じゃないということは明確です。ではまったくの一個人としての発言なら何を言ってもいいのか?ということですが、これもNOですね。明らかな違法行為やモラルに欠けた行いはバッシングの対象になりますし、実際に数えるのも億劫なほど、ネット各所でお祭騒ぎが勃発していました。(最近は食傷気味なのかスルー傾向ですが)
ここから見えるのは多かれ少なかれ、Twitterの発言は公共性を帯びているということでしょう。「そりゃ、公衆の面前でつぶやけばリアルだってそうだよ。」といえばそれまでですが、問題は公共性が必ずしも同じ度合いではなく、Twitterでの発言は影響力に比例して公の発言としての責任が強くなるということでしょう。今回例にだしたケースでは
社長>従業員>個人
という順で発言に責任をもつ必要が出てきます。かつて乙武氏がTwitterで誹謗中傷を受けたとき「超えちゃいけないライン、考えろよ」という返事をしましたが、まさにこの言葉に尽きると思います。自分がどのカテゴリに属しているのかを把握し、その上で許される発言をする。それがTwitterを楽しむ上でのルールなんじゃないでしょうか?
炎上が繰り返されるのはなぜか?
社長も、いざビジネスモードであるときに顧客に同じことを言われたとしたら、おそらくそれなりに大人な対応をなさるんじゃないでしょうか?Twitterの恐ろしさは完全にオフモードであろうとオン時の対応を求められるという点にあり、部屋着でだらだら酒を飲みつつ、Twitterをチェックしてたら、逆鱗に触れるツイートを発見したというのも考えられないシチュエーションではなく、「ああ、やっちまったな」という感じもしないでもないです。やはり、公共性の認識が多少薄弱なのかもしれません。個人に向けたツイートでも周囲には何十、何百万人というユーザーの衆目にさらされているので、そういった人たちへの配慮も行うのはキチンとした大人ならあたりまえです。
あと、個人は個人でフリーダムに発言しすぎですよね。いままでTwitterというツールが無いときは、友達やら家族やらに愚痴っておしまいだったものが、簡単に世間に公開できてしまうため火種を作りやすくなります。
Twitterの登場で個人も公人もよくも悪くも発言の影響力が高まってきています。うまく付き合っていけるように「超えちゃいけないライン、考えろよ」と言いたい。(自戒も含め)
企業がソーシャルを使う上で大事にすべきことが書かれています。僕も少し前に読みました。