もはやブームを通り越すほどにスマートフォンが浸透してしまいました。すっかり少なくなってきたガラケーユーザーですが「電車内でガラケー弄るのが恥ずかしくなってきた」という声も少なくありません。僕は仕事柄わりかし早めにスマートフォンに切り替えたのですが、実は結構ガラケーが好きだったりします。

僕が思春期真っ只中だったときちょうどケータイブーム真っ只中で、高校生でもケータイを持つのが普通になりつつありました。DDIとKDI、IDOが合併してKDDIになり、セルラーブランドがauになったという時期に初めてケータイ(C304SAという機種)を購入したのですが、当時のケータイ電話なんて今に比べるとホント玩具みたいなもので、着信音は3和音か4和音で、大体の機種に着信メロディを自分で作れる機能が備わっており、着メロの作り方の雑誌がそれなりの冊数、書店に並んでいたりと今思うとシュールな時代です。

C301_C305
↑今から十数年前の機種(左から4番目がC304SA)


今思うと、この時期から急激にケータイ技術が進んでいったように思います。今まで4和音が関の山だった着信音は16和音になり、その後各メーカーがしのぎを削って32和音だの、着歌対応だの技術刷新を繰返していきましたし、モノクロカラーの画面は256色のカラー液晶の登場を皮切りに飛躍的に進歩しました。液晶の発展に伴いJ-Phone(現ソフトバンク)から画期的なヒット機能「写メール」をリリースされ、さらにブームは加熱していきました。進化はまだまだ続き、DoCoMoはiアプリというJavaベースのアプリケーションプラットフォームを展開し各コンテンツ業者はドコモアプリの開発に勤しんだり、今みたいな大々的な発展こそしなかったものの、ケータイ電話に自分の用途に合ったアプリケーションをインストールするという発想は実は昔から存在していました。その後テレビ付きケータイやLismoなどの楽曲配信サービスなど、進化はそれからも続いていきました。

よく日本のケータイはガラパゴス的な進化を遂げたと揶揄され、今では少し嘲笑的な意味さえ含んで「ガラケー」と呼ばれたりしますが、何の機能も無かった携帯電話が急速に進化を遂げていく様をみて、とてもわくわくしていました。当時の自分にとって最も身近なテクノロジーの発展を実感できるモノ、それがガラケーでした。

今のスマートフォンの進化も目覚しいと思います。二年以上前に飼ったXperia(SO-01B)は今の機種に比べると相当に性能が落ちていますし、これから先もどんどん進化を遂げていくと思います。でもそこにガラケー時代に感じたロマンのようなものはあまり感じません。すでに完成されたものがブラッシュアップされていくようなイメージを受け、ガラケー黎明期みたいな次何が出てくるかわからないびっくり箱を開けるような感覚はもう味わえないのかも知れないと思うとノスタルジックになります。まあ最近のガラケーの行き詰まり感は半端ではないので、スマホが流行するのは仕方の無いことですが。